嘆 願 書


 

拝啓 淺井先生

 突然のお便り大変申し訳ございません。
 私どもは、現役顕正会員です。
 この度、淺井先生にご相談がございまして、無礼を承知の上、このような形でご相談させて頂きたく、お願い申し上げます。しかし、私どもは、信心微弱な会員であり、大きな仏法上の誤りもあると思います。
そこで、もし私どもが信心上誤りであれば、是非、師匠として父として厳しく叱咤、ご指導をお願い申し上げます。
 私ども会員は、日蓮大聖人を御本仏と信じ、同時に、淺井先生を無二の師匠と仰ぎ、広宣流布を夢見て、文字通り寝食を忘れて戦って参りました。
 日蓮大聖人の大願たる広宣流布を我が人生の希望として、我が使命として、身も財も時間も青春も全てを月々の法戦に捧げて参りました。途上、職を追われ、親族から縁を切られ、困窮する生活の中にも、広宣流布に一分でもお役に立てるのなら、この命失ったとしても、淺井先生に骨を拾って頂く事ができるのなら本望として、戦って参りました。
 しかし、入信以来、当初からどうしても拭え切れない疑念も抱いて参りました。
それは、何かと申しますと、『何故、機関紙購読や広布御供養に誓願(ノルマ)があるのか』とのことであります。

 そこで、淺井先生にご相談申し上げます。
1.機関紙購読、広布御供養の誓願(ノルマ)を廃止して頂きたい
2.もし、上記に誓願(ノルマ)が必要であれば、道理・文証の上から会員が納得のいくご説明を頂きたい

以上、の2点です。

 私ども、教学にも暗く拙い会員ではありますが、顕正会員として、広宣流布に人生を捧げた者として、納得のいく御奉公をさせて頂きたいのです。

 誓願とは、願をおこして成し遂げようと誓うことであり、仏様へ願を立て、その誓いを果たすことは、まさしく菩薩であり、崇高で立派なご奉公です。
 そこでまた、一つ会員として不明点があります。顕正会における誓願とは、本部から一方的に割り振られています。これは「誓願」ではなく、「ノルマ」だと感じてしまうので悩んでいます。さらに、誓願の数字に勝った負けたの責任が班長以上の幹部は追求されることは、それが大聖人様の御心なのかがよくわかっていません。
 数字上の達成・未達成が功徳とどのように関係があり、日蓮大聖人は数字についてどう仰せか、ご指導頂けると有り難いのです。
 
 ところで淺井先生、この上記に挙げました機関紙購読と広布御供養の戦いにおいて、末端の会員組織で毎年繰り返されている実態をご存知でしょうか。
それは、あまりに幽霊購読が多く、その結果多くの会員が借金を重ねてまで、誓願を成している現実があるということなのです。
 淺井先生は、上野殿御返事を引かれ、広布推進になくてはならない浄財であるとご指導下されます。私どもは、そのご指導を拝して、上野殿のように、たとえ乗る馬がなくても真心の御供養を捧げようと決意します。ところが、現実の組織の実態は、無くなった班の購読部数を誓願から引くことなく、その部数を支隊長が被る、あるいは各班に割る振るなどして、ようやく誓願の数字と合わせて提出しています。また、支払いをしない班員に対しては、幹部が立替えて誓願の数字に合わせることが慣習です。
 広布御供養も、入信していない身内名義で自分がお金を出して、誓願に合わせることもよくあります。  果たして、大聖人様の御意に叶う、本当の真心の御供養かどうか疑問を感じているところでもあります。
 実際に、班の毎月の総幹部会ビデオ放映の結集人数は、5・6名に対し、機関紙購読部数は50部・60部の班長が多く存在します。その中身は、既に音信不通の班員宅に、班長が購読料金を支払って、購読部数に乗せているわけです。訪問すると、既にゴミ箱行きとなっています。
「ほとんどが幽霊班員ですし、お金もありません」と上長に相談しても、「誓願を負けていいのか」と一喝されて、泣く泣く借金を重ねて、拝読もしていない音信不通の班員宅に班長自ら代金を支払って購読部数としています。支隊長は、誓願未達成で隊長に機関紙を報告しようものなら、その責任を追及されます。隊長とて同様です。確かに、月々の法戦が毎年水かさを増す前進があるならば、そのような誓願1割り増しなど達成出来て当然です。
 しかし、毎月折伏誓願2名を成したとして、毎月当たる折伏件数は、20件、1年で240件です。それが入信10年で2400件です。
入信早々であれば、学校を卒業し、かつて遊んだ友人も多数おりますし、名簿を使えば、信頼関係などなくても大勢の対象を当たることが出来ますので意気揚々として折伏に出かけます。
 しかし、それを十年繰り返しても、社会で関わる人間関係など知れています。次第に対象者は尽き、その結果、対象者を探し、時には街角で見知らぬ信頼などあるはずもない人に声を掛け、また町内を訪問します。
その弊害も至る所で出てきます。それは、社会から遊離して、人間らしい生活が出来なくなることです。それも、広宣流布に命を賭けた者として、当然だと割り切って生きておりますが、何せ競争社会なものですから、職を失い、家庭が崩壊する同志が後を絶ちません。でも、「誓願に勝てば功徳がある」との指導されます。私どもの愚痴でしょうか。
 広宣流布は仏意仏勅であって、数字で区切って勝ったとか負けたとか論ずることでないように思ってしまうのですが。
 組織を通して上長に相談しても「愚痴」「祈りが足りない」「信心の肚決めが出来てない」等という事で一方的に一蹴され納得いく回答が得られず、また直接上申すれば不信者扱いされ、処分されてしまうという事を聞きましたので、直接先生にお願いしたほうが解決が早いと考えるに至りました。

 淺井先生に生涯付き切り戦いきりたいのです。このような形で、淺井先生にご相談申し上げる無礼をお許し下さい。

                                              敬具
 平成二十年五月二十五日



顕正会憂国の会員
連絡先  kensho@55mail.cc














                                        -index-